宅間谷戸
     
 
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2011年、春は遅刻して来ました。
 
やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
          (石川啄木)

 





















 錦秋という表現がぴったりなのが宅間谷戸の秋。谷戸を囲む山々が赤や黄のグラデーションに染まり、陽を浴びた庭木の紅葉がアクセントとなります。
 宅間谷戸に入ってまず目につくのが報国寺の大イチョウ。数年前に一番の巨木は切り倒されましたが、今ある木も十分な巨木。銀杏を一杯つけます。このイチョウは道路沿いにありますが、見落とされがちで一番見事なのが墓地側奥まった所にある大イチョウ。夏の打ち上げ花火の尺玉のように大きな丸い樹形です。イチョウといえば円錐形の樹形が普通のような気がしますが、これはイチョウの中でも種類が違うのでしょうか。あるいは剪定をしなければ丸いのが自然樹形なのでしょうか。左右と上下が同じくらいに太い枝を張り出して見事です。
 宅間谷戸のイチョウでもう一本、見事なのが華頂宮邸の門を飾るイチョウ。この木も数年前に大きくなりすぎたためか上部を切り、円錐形の均整が取れた形が少し紡錘形になりましたが、散り敷く落ち葉は黄金の絨毯となります。
 イチョウの葉は扇形で中央がくびれています。この形のためか鴨脚樹とも書かれます。また孫の代になってやっと実を付けるほどに長寿で生命力の強いことから、公孫樹とも呼ばれます。
 イチョウが黄葉の代表ならドウダンツツジ、イロハモミジは赤色の代表でしょうか。華頂宮邸の門を入ると何本ものドウダンツツジが迎えてくれます。黄色がかった赤から深紅色へ。季節の深まりとともに色を変えていきます。この鮮やかな色のせいでしょうか、燈台ツツジ、灯台ツツジとも書かれますし、春の花期に小さい白い花を満天の星のように付ける姿から、満天星ツツジとも書かれます。
 玄関前の車回しからフランス庭園、そして日本庭園の各所で見られるのがイロハモミジの紅葉。イロハモミジで楽しめるのは、まだ緑、そろそろ黄色、そして本格的な赤。陽に映える三色が一本の木の中で一度に見られること。カエデの紅葉とはまた違った楽しみがあります。
 それぞれの木、それぞれの紅葉とともに、宅間谷戸の秋の風物詩は、風の強い日に山の木々から枯れ落ちる紅葉が、空をうめて雪のように降ってくる秋の終わり。
 ひらひら はらはら 今年も暮れる














 梅雨の晴れ間に蝉の合唱が聞こえだすと、宅間谷戸も夏真っ盛り。谷戸は青々とした緑に包まれ、山滴る、の中に人影もまばらで眠るようだ。
 この季節、谷戸を彩るのはアジサイからはじまって、ユキノシタ、イワタバコ、スイカズラ、ヤマユリ、ホタルブクロと続き、夜目にも白くレースの花が咲くカラスウリが終われば、秋のヒガンバナまでしばらく目立つ花の季節は終わりを告げる。
 
 宅間谷戸の入り口である華の橋を渡り、右に報国寺の山門を過ぎると、左へ曲がる小さな路地が「巡礼古道」の入り口。入り口に手書きの表示板がある。人一人がやっと通れるような狭い道を入ると、すぐに急な鎌倉石の階段が山に登る。
 この路は観音信仰が盛んだった頃の「板東33観音霊場・札所」のルートだそうだ。第一番・杉本観音から第二番・岩殿寺(逗子市)へ通じる巡礼路。鬱蒼と茂った山道が、宅間谷戸を囲む尾根を鎌倉・逗子ハイランドの団地へ抜ける。
 登り始めてすぐ杉木立の中を過ぎれば、岸壁に掘られた大きなお地蔵さまがある。お顔も定かに見えぬほどに風化しているが、いつ頃、どなたが何を祈願して彫ったものか。深い木々に囲まれ苔むすままに月日を重ねている。
 路は少しずつ高度を稼いでいくが、道端にはこれもまた誰がいつ頃運びあげたものか知れないが、何基もの庚申塔があり、巡礼堂の面影を残している。また路の所々にコンクリートでできた浅い水槽のようなものがあるが、小鳥の水場として作られたものだろうか。ずいぶん古いものである。いったい誰が作ったのだろうか。
 途中宅間谷戸の家々を見下ろす場所もあるが、この季節は茂る緑でほとんど見えない。ただただ青い山並みが続くだけである。
 
 踏み分けても 踏み分けても 青い山
              種田 山頭火
 
 登りきると路はパッと開けて、鎌倉・逗子ハイランドの団地へ出る。団地沿いの公園を右へ右へと回ると、衣張り山へ登る。衣張山を越えて下れば田楽厨子のみち。右へ曲がれば報国寺へ戻る。
 宅間谷戸はぐるりと尾根に囲まれた小さな谷戸である。

 宅間谷戸(たくまがやと)の入り口は、滑川に掛かる「華の橋(はなのはし)」である。橋の名前はこの谷戸の奥に華頂侯爵の住まいが建てられたことから名付けられた。橋のたもとには滑川に影を映す大きな桜、その樹下には庚申塚がある。春ともなれば、桜花と小路の対にあるユキヤナギの白、レンギョウの黄が谷戸の美しき入り口となる。
 
 「華の橋」から70〜80m入れば竹の寺で知られる「報国寺」。緑の苔と山門の土壁の黄色が落ち着いたコントラストを見せる。ここまでは車もすれ違えない細い小路である。臨済宗建長寺派の禅寺「報国寺」は、1334年(建武元年)創建。開基は足利家時とも上杉重兼とも言われる。境内は苔と孟宗竹の緑に、季節の花がアクセントになる。かつては近所の子どもたちはここで除夜の鐘をついたものだった。
 
 「報国寺」山門手前を右へ小路をたどれば、田楽辻子のみちが釈迦堂切通しへと続く。
 
 「報国寺」を過ぎ、宅間川に沿った路を進めば左に「巡礼古道」へ続く入り口。鎌倉・逗子ハイランドへ続く尾根道だ。途中、表情も定かでないほどに風化した磨崖仏や庚申塔を見ながら歩くこの山道は、春夏は鬱蒼とした樹木で薄暗いが、秋ともなれば、黄葉、紅葉で鮮やかな明るい尾根道へと変わる。住民たちにとっては格好の散歩道だ。
 
 「巡礼古道」の入り口を過ぎれば、正面に「旧華頂宮邸」の大きな洋館が見える。門横の大銀杏は数年前に上部を切り半分ほどの丈にしたがすでに伸び、秋には路も門付近も黄金色に散り敷く。
 
 宅間谷戸は、戸数約80の小さな谷戸。「旧華頂宮邸」を過ぎれば、片側は山、片側に住宅が一列に登る静寂の谷戸である。鎌倉時代、ここに京より下った宅間派の絵師たちが定住し、宅間という地名がついたと言われる。この小さな谷戸の風情が昔に変わらないのは、「旧華頂宮邸」の存在が大きい。また鎌倉の谷戸の多くがそうであるように、一つの谷戸が一つの寺の所有地であり、ここが「報国寺」の所有地であることも豊かな自然が守られている理由になっているのだろう。
 
 かつて、この谷戸には川端康成、林房雄らが住んだ。
 
 「旧華頂宮邸」の門を過ぎると路は山陰に入り、深とした空気に満たされる。ここから先は谷戸の入り口より1、2度気温が低いと言われるが、静けさもその一端を担っているのだろう。「旧華頂宮邸」の庭を左手に、右側は高い岩壁と山から茂る鬱蒼とした緑に覆われる。かつて「旧華頂宮邸」の庭は高いコンクリート塀が巡らされ、そのさらに上から槙の木が覆いかぶさり昼尚暗い路であった。宅間谷戸の入り口には「痴漢とマムシに注意」と書かれた看板があったほどである。
 
 この谷戸の春は、ショカッサイの紫の花で始まる。ユキヤナギの白、タンポポの黄がすぐに追いかけ、シャガの白が続く。その間にもスミレの紫が人目につかず咲いている。初夏ともなれば、フジの紫、ツツジの赤、ジャケツイバラの黄、ケイワタバコの紫、ヤマユリの白、さらに赤や青のアジサイ。
 
 目まぐるしいような花の響宴が続くのである。
 
 「旧華頂宮邸」を過ぎると、正面に覆いかぶさるような岩壁がそそり立つ。壁の上部に、春ならば小さなツツジが1本。秋ならば紅く染まった小さなカエデが1本。ここから右へ曲がる小路があるが、すぐに行き止まり。昭和40年頃までは衣張山へ続く山道があったが今では全く塞がれてしまった。
 
 この辺りから宅間谷戸は急な登りとなる。見晴らしの良い直線の路だ。振り返り振り返り見る宅間谷戸の山並みは、四季それぞれの表情がある。中でも美しいのが春4月の1ヵ月。春の山が若芽をまとい、淡、濃、明、蒼。萌えい出る緑が様々な諧調を日々変える。
 
 故郷や どちらを見ても 山笑う
                      子規
 
 宅間谷戸は登り続けて山道で行き止まる。鎌倉・逗子ハイランドへ抜けるこの山道のなか、かつては蝙蝠やぐらと呼んだ洞窟があった。コウモリが多数住んでいて、昭和30年くらいまでは近所の子らが遊んだ場所であったが、団地の開発で今はもう無い。
  
  
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